ドゥギー・ホワイト(Doogie White)の名言・迷言・言葉

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ドゥギー・ホワイト(Doogie White)のプロフィール

ドゥギー・ホワイト(Doogie White)は、スコットランド出身のヴォーカリスト。1960年3月17日にスコットランド・マザーウェルで生まれ、幼少の頃、教会で聴いた讃美歌を通じて音楽に興味を持つようになった。教会で知り合った友人と共にFOREIGNERからDEEP PURPLE、BLACK SABBATHなどをカヴァーするバンド、TRYXTERを結成しヴォーカリストとしての経験を積んだドゥギーは、イギリスのシンガーソングライターのジョン・マーティンの前座を務め、その際仲良くなったシック・マクシェリーとLA PAZを結成。2本のカセットテープを発表したがレコード契約を取れず解散した。
ロンドンに拠点を移し、1988年に元TOBRUKのジェム・デイヴィスが結成したMIDNIGHT BLUEに加入し、精力的にライヴを行ったが活動は停滞。たまたま日本公演のためにキーボーディストとヴォーカリストを探していたPRAYING MANTISからジェムと共に誘われ加入、1992年の来日公演に参加したがすぐに脱退。MIDNIGHT BLUEを再始動したが、メンバーの相次ぐ脱退でバンドは解散した。
その後、ブルース・ディッキンソンが脱退したIRON MAIDEN、アンディ・デリスが脱退したPINK CREAM 69などのオーディションに参加するも落選。たまたま当時DEEP PURPLEを脱退したリッチー・ブラックモアがデモテープを聴いたことで、復活したRITCHIE BLACKMORE’S RAINBOWに参加したが、1枚のアルバム発表とツアー参加後に解雇された。
その後、ROYAL HUNTのスティーン・モーゲンセンのプロジェクトのCORNERSTONE、2001年からはイングヴェイ・マルムスティーンのバンドに参加したが、2008年に脱退したアルジー・ワードに替わりTANKに加入。ロニー・ジェイムズ・ディオばりの粘りのある歌唱はバンドのイメージを劇的に変え、ファンからは賛否両論が巻き起こる事態となった。
2011年マイケル・シェンカーの「TEMPLE OF ROCK」アルバムに1曲だけ参加、その後のツアーに参加した後、そのままTEMPLE OF ROCKのリードシンガーとなる。
再結成したLA PAZや、ポーランド人ギタリストのイギー・グワデラのプロジェクトWAMIに参加後、現在はMICHAEL SCHENKER FESTで活動中。

 

ドゥギー・ホワイト(Doogie White)の名言/言葉

リッチー・ブラックモアはとにかくクリエイティヴな人でね。自分でやったことも覚えていられないくらいなんだ。(笑)


パンクが登場した時、誰もが、リッチー・ブラックモアは絶対に生き残れないだろうと思った。DEEP PURPLEを辞めたから、もう生き残れないとね。


もしもIRON MAIDENのメンバーになっていたとしても、俺は今ほど幸せじゃなかったと思う。


アーティストとしての僕の力は、楽曲の組み立てよりも、パフォーマンスの面で発揮される。


 

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ドゥギー・ホワイト(Doogie White)を知るならこの1曲

Ritchie Blackmore's Rainbow – Black Masquerade (Black Masquerade)

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